2009年3月14日星期六

天声人語(1)

《天声人語》是日本《朝日新聞》的具有百年历史的人气小专栏。多由专栏作家写些时政评论、季节感悟等,其文思之历练、语言之优美、观察之透彻、立论之稳健实为日文随笔之珠玑者也。我会不时从网上转抄一些,录入原文并我自己的拙译,与你分享,以更多人都能体会日语的优美、更多人都能了解日本为幸甚。本文章摘自日本《朝日新聞》主页,《朝日新聞》社享有本文章著作权。

2009年3月14日(土)付
明治の文人正岡子規は不治の病に長く伏した。あるとき外で遊んでいた隣家の子が「あれ蝶々(ちょうちょ)が蝶々が」と言うのを病床で聞いて、〈一道の春は我が心の中に生じた〉と書き残している。子の無心な声に、鮮やかな心象風景が呼びさまされたに違いない▼冬ごもりの虫が這(は)い出す啓蟄(けいちつ)を過ぎて、もう「菜虫(なむし)化蝶(ちょうとけす)」、つまり青虫が羽化する候である。きのう九州に上陸した桜前線ともども、モンシロチョウの初見前線もどこかを北上していることだろう。春の祭典の幕が、南から北へ開いていく▼人の目を和ませる祭典だが、生き物にとっては厳しい生存競争への参加だ。おのれが目覚めれば、天敵もまた眠りから覚める。その天敵にも天敵はいる。自然界の命の掟(おきて)は、他の生き物の食物になることだという▼〈蟻が 蝶の羽をひいて行く ああ ヨットのやうだ〉。これで全文の三好達治の詩「土」は、ぎりぎりの単純さで命の連鎖を表す。美しく舞うチョウもいつか落ち、地を這うアリを養う。命にぎわう季節の舞台裏である▼ひるがえって人間社会で「羽化」といえば、実社会への門出だろうか。卒業式が盛りだが、今年の風はわけて冷たい。採用内定の取り消しや、授業料の滞納で卒業証書を受け取れないという悲話が各地から聞こえてくる▼それでなくても社会と会社は甘くない。真冬に羽化したように心細い人も多いだろう。一日も早い景気の春を呼び込むのは政官財の責務だが、足取りは覚束(おぼつか)ない。悠々たる歩みで北をめざす自然の春に、心底あやかりたい思いがする。

译文

2009年3月14日(星期六)付
明治时代的著名徘人正冈子规因患不治之症曾长期卧床不起。一个偶然机会在病床上听到在屋外玩耍的邻家小孩“哎?蝴蝶,蝴蝶……”于是留下了“一线春色生心间”的一首俳句。这一定是孩子无邪的话音唤起了子规心中绚丽的春色罢。


预示着冬眠的小虫们已经苏醒的“惊蛰”已经经过,现在已经是“青虫化蝶”——即毛毛虫褪去毛毛羽化成蝶的季节了。随着昨天在九州登陆的“樱前线”(樱花从南至北在日本列岛初绽的时间)大概白纹蝶的初赏前线(即各地每年最初观赏到白纹蝶的时段)也在九州的某地开始北上了吧?就这样,春祭之幕便由南向北依次展开了。

但正是这令人悦目的春之祭对种种生物来说却是新一轮生存竞争的开始。自己睁开惺忪睡眼之时天敌也张开了虎视眈眈的双眼。然而纵使这个“天敌”也有它自己的“天敌”。一种生物成为另一种生物的豪宴之享——这大概就是大自然的生命定律罢。

“蚂蚁拖着蝶翼行,啊~~~仿佛是一艘远去的小帆船”。这是三好达治的诗《土壤》中的一节,正是这迫近了极限的单纯诠释了看似深邃的生命往复之理。炫美飞舞的蝶儿终有一天会魂归大地,成为终日默默无闻爬行在无尽大地上那小小蚂蚁的盘中之餐。这,就是因生命缤纷而喧闹热烈的春之祭舞台下的阴影。

反观我们人类社会,言及“羽化”一词大概是指青年们初踏上社会的那一刻罢。然而在这个毕业的季节中,今年的风却格外寒冷。各地都充溢着“录用内定取消”或是“因学费滞纳而不授予毕业证”这样那样令人悲悯的话题。

其实纵使没有今年这样那样令人悲伤的话题,对刚刚踏上征程的青年们来说,身处社会与公司中,象牙塔里的纯真亦都不再。大概对面临踏上社会的征程的青年们来说,在三九严冬中“羽化”会使他们更多地感到无助吧。虽说尽早唤回“景气之春”是议员、官僚、财团们的责任,但他们的步履却让我们感到如此不安……

悠悠迈向北国那春天的脚步呦,我打心底羡慕你……

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